権藤博ごんどうひろし
元プロ野球選手、監督、解説者[日本]
1938年 12月2日 生 (満87歳)
権藤 博(ごんどう ひろし、1938年12月2日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(投手・内野手、右投右打)・コーチ・監督・野球解説者・野球評論家。
現役時代は中日ドラゴンズでプレーし、全盛期は短いながら1961年から1962年にかけて2年連続で30勝以上を記録してセントラル・リーグの最多勝利投手となるなど、エース投手として活躍、新人年の1961年にはセ・リーグの投手三冠(最多勝・最優秀防御率・最多奪三振)を達成、沢村賞と同リーグの新人王を同時受賞した。
投手としての通算成績は5年間で210登板、1136投球回、82勝60敗、667奪三振、防御率2.69。
引退後は中日や近鉄バファローズ、福岡ダイエーホークス、横浜ベイスターズでコーチを、また1998年から2000年には横浜の監督を務め、横浜監督就任1年目の1998年にはチームを38年ぶりのセ・リーグ優勝と日本シリーズ優勝に導いた。
2019年には野球殿堂エキスパート部門表彰を受けている。
次女は「株式会社SONOKO(旧:トキノ)」の社長を務めた権藤嘉江子。
経歴=
プロ入り前=
鳥栖高校では内野手だったが、投手不在となり投手に転向。
3年次の1956年には夏の甲子園佐賀大会準決勝に進出するが、佐賀商に惜敗。
甲子園には出場できなかったものの、その活躍から西鉄ライオンズから入団の勧誘を受けたが、その後に受けたブリヂストンタイヤのテストに合格。
西鉄のテストで三原脩監督と川崎徳次の前で投げたことが自信になり、ブリヂス ……
権藤博さんが誕生してから、87年と115日が経過しました。(31892日)



