小島武夫こじまたけお
プロ雀士[日本]
(「ミスター麻雀」と呼ばれた)
1936年 2月11日 生
2018年 5月28日 死去心不全享年83歳
小島 武夫(こじま たけお、1936年2月11日 - 2018年5月28日)は、競技麻雀のプロ雀士である。
日本プロ麻雀連盟初代会長・最高顧問。
同団体内での段位は九段。
日本で最初の麻雀プロとも言われており、メディアを通じて麻雀文化を根付かせた一人として「ミスター麻雀」の異名を取った。
来歴=
福岡県福岡市博多出身。
中学生の時に麻雀と出会い、卒業後はパン屋勤務を経て、19歳の時に地元の雀荘で“打ち子”として働き始める。
当時は客の“質”もあまり良くなく、客のイカサマに目を光らせる役回りだったという。
27歳の時に上京し、日本文芸社が運営する神田神保町の雀荘「アイウエオ」の従業員となる。
「アイウエオ」は日本最古の麻雀競技団体「日本麻雀連盟」の道場を兼ねており、1967年に同連盟の関係者から「東京牌王位戦」への出場を薦められ、優勝して知名度を上げる。
その活躍が深夜番組『11PM』のスタッフの目に止まり、1968年から7年半に亘って同番組の麻雀コーナーに出演、「小手返し」「ツバメ返し」といった“イカサマ技”を番組内で披露して話題になるなど、「第二次麻雀ブーム」の火付け役ともなった。
その後「アイウエオ」を舞台に行われた、団体を超えたタイトル戦「名人戦」の席で阿佐田哲也と意気投合、古川凱章を加えた3人で1970年に「麻雀新撰組」を結成。
アイディアマンの阿佐田の影響もあって観戦記などの文筆活動も増え、交友関係が広がる。
一方 ……
小島武夫さんが誕生してから、89年と182日が経過しました。(32689日)
亡くなってから、7年と75日が経ちました。(2632日)
30057日間 生きました。