生年月日データベース

山口華楊やまぐちかよう

日本画家[日本]

1899年 10月3日

1984年 3月16日 死去享年86歳
山口華楊 - ウィキペディアより引用

山口 華楊(やまぐち かよう、1899年〈明治32年〉10月3日 - 1984年〈昭和59年〉3月16日)は、山口華楊は日本画家。
早くから動物画・花鳥画で知られ、戦後の京都画壇で中心人物の一人となった。
概要= 山口は1899年(明治32年)に京都市中京区で本名・米次郎として生まれた。
父(安之助)は江戸時代からつづく友禅染めの彩色職人で、母親(なを)は京都市内で成功した絵具屋の娘だった。
幼いころから絵を描くことを好み、5歳上の兄・松之助も後に玲熙(れいき)と号して菊池芳文に支持、帝展に入選を果たしている。
山口は1912年(明治45年)に京都市立格致尋常小学校を卒業すると、当時の日本画壇の大家だった西村五雲の画塾に入門する。
1914年(大正3年)には早くも京都美術協会展に初入選している。
西村の勧めで画業をさらに継続することを決意し、1916年(大正5年)に、京都市立絵画専門学校(京都市立芸術大学の前身)に入学する。
これは東京美術学校よりも開校が10年先行しており、日本最初の画学校だった。
ここで戦前期を代表する日本画家の一人・竹内栖鳳に師事している。
1916年(大正5年)、16歳のときに作品《日午》が文展(文部省美術展覧会)で初入選する。
山口によるとこのときの作品は発表初日に80円で買い手がつき、学生一人が10円で一か月生活できた当時としては破格の値段だったという。
こうした画業での安定によって実家を出たのち結婚、1926年(大正15年)に ……

山口華楊さんが誕生してから、125年と312日が経過しました。(45968日)
亡くなってから、41年と148日が経ちました。(15123日)
30845日間 生きました。

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