生年月日データベース

樋口季一郎ひぐちきいちろう

陸軍中将[日本]

1888年 8月20日

1970年 10月11日 死去享年83歳
樋口季一郎 - ウィキペディアより引用

樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年〈明治21年〉8月20日 - 1970年〈昭和45年〉10月11日)は、日本の陸軍軍人。
最終階級は陸軍中将。
兵庫県淡路島出身。
歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルビン特務機関長、第9師団長等を経て、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。
第二次世界大戦前夜、ドイツによるユダヤ人迫害を逃れた避難民に満洲国通過を認めたとされ、これは「ヒグチ・ルート」と呼ばれたと言われる。
[ヒグチ・ルート]からはかつて「2万人を救出した」と喧伝されたこともあったが、実態は不明な部分も多い。
太平洋戦争中、アッツ島の戦いにおいて樋口の命によりアッツ島守備隊は玉砕、その後の南方諸島で続発する日本軍守備隊玉砕の引き金となった。
ソ連対日参戦時には、樺太の戦いにおいて、民間人犠牲者も増大していく中で8月15日のポツダム宣言受諾後も戦闘継続を指示、さらに樋口自身の関与は不明であるが占守島の戦いも行われた。
経歴= 生い立ち= 1888年、淡路島にある兵庫県三原郡本庄村上本庄(町村制後:阿万村、現:南あわじ市阿万上町字戈の鼻)に父・奥濱久八、母・まつの5人兄弟(9人とも言われている)の長男として出生。
奥濱家は廻船問屋で代々続く地主であったが、明治以降、蒸気船の普及に伴い時代の流れに取り残され父・久八の代で没落した。
11歳の時、両親が離婚し、母・まつの阿萬家に引き取られる。
1901年、三原高等小学校2年終了後、私 ……

樋口季一郎さんが誕生してから、137年と35日が経過しました。(50074日)
亡くなってから、54年と349日が経ちました。(20073日)
30001日間 生きました。

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