姉小路公知あねがこうじきんひさ
公家[日本]
(天保10年12月5日生)
1840年 1月9日 生
1863年 7月5日 死去暗殺享年24歳
姉小路 公知(あねがこうじ きんとも / きんさと)は、江戸時代後期の公家。
姉小路公前の子。
幼名は善麿。
官位は正四位下・右近衛権少将。
有職故実に極めて精通し、「朝暦」ともあだ名された。
幼少期より三条実美を学友とし、学習院では三条のほか、東久世通禧、橋本実梁らと共に学んだ。
周囲には常に「国家のために身を致し報効の誠を尽くすべし」と説いた。
幕末に家督を承けて以来、尊攘派の急先鋒として活躍したが、朔平門外の変で暗殺された。
維新後、生前の功により正二位を追贈された。
経歴=
天保10年12月25日(1840年1月9日)、公卿・姉小路公前の子として誕生。
安政4年(1857年)3月に家督を承ける。
安政5年(1858年)、日米修好通商条約に反対し、廷臣八十八卿の指導者として活動した。
文久2年(1862年)9月、右近衛権少将となり、幕府への攘夷督促の副使として、正使三条実美と共に江戸に向かい、勝海舟と共に江戸湾岸の視察などを行う。
のちに国事参政となり、三条と共に攘夷派の先鋒となったが、文久3年(1863年)5月20日の夜半、深夜朝議からの帰途、京都朔平門外の猿ヶ辻で3人の刺客に襲われる。
扇を振い、刀を奪うなどして奮戦して撃退するも、頭と胸に重傷を負い、帰邸後の翌日21日未明、自邸にて卒去(朔平門外の変)。
享年25(満23歳没)。
墓所は京都市上京区の清浄華院。
官歴=
※明治5年までは旧暦。
嘉永2年(1849年)12月19日:従五 ……
姉小路公知さんが誕生してから、186年と76日が経過しました。(68013日)
亡くなってから、162年と264日が経ちました。(59435日)
8578日間 生きました。
