セルジオ・マルティーノSergio Martino
映画監督、プロデューサー[イタリア]
1938年 7月19日 生 (満86歳)
セルジオ・マルティーノ(Sergio Martino, 1938年7月19日 - )は、イタリア王国ラツィオ州ローマ県ローマ出身の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。
1970年代以降のイタリアにおいて大衆娯楽映画を数多く監督した。
特に ジャッロと呼ばれるイタリア製スリラー映画および、イタリア式コメディの監督として知られる。
正式な発音はセルジョ・マルティーノ。
略歴=
1938年ローマ生まれ。
兄のルチアーノ・マルティーノ(Luciano Martino)は映画プロデューサー兼脚本家として活躍し、セルジオとも長年協力関係を築いた。
祖父のジェンナーロ・リゲッリ(Gennaro Righelli)は映画監督兼俳優としてサイレント映画時代からトーキー初期まで活躍した人物であった。
セルジオと兄ルチアーノは、幼少期から祖父が監督を手がける映画の撮影を見学したことで映画製作に関心を抱いた。
1963年、兄ルチアーノが脚本に参加したマリオ・バーヴァ監督のスリラー映画『白い肌に狂う鞭』(1963)で助監督をつとめて映画界入り。
その後は主に兄ルチアーノがプロデュースした映画の製作補佐をつとめた。
エルネスト・ガスタルディが監督したスリラー« Libìdo »(1965)や、ロモロ・グェッリエーリ監督の『デボラの甘い肉体』(1968)並びに『二匹の流れ星』(1967)、ジョルジオ・フェローニ監督の戦争映画『砂漠の戦場エル・アラメン』(1969)などで製作補佐や製作総指揮としてクレジットされている。
脚本家 ……
セルジオ・マルティーノさんが誕生してから、86年と332日が経過しました。(31744日)