山本為三郎やまもとためさぶろう
アサヒビール元社長[日本]
1893年 4月24日 生
1966年 2月4日 死去享年74歳
山本 為三郎(やまもと ためさぶろう、1893年(明治26年)4月24日 - 1966年(昭和41年)2月4日)は、実業家、大阪府多額納税者。
朝日麦酒、大阪ロイヤルホテル社長を務め、「ビール王」、「ホテル王」と呼ばれた。
学校法人根津育英会武蔵学園6代目理事長。
芸術愛好家であり、海外有名音楽家の招聘や民藝運動の支援などでも知られた。
略歴=
1893年、ガラス製造業の山本為蔵(1860年生。
萩原久兵衞二男で山本新助婿養子)の長男として大阪市中央区船場で生まれる。
生家の名門山本家は、大納言・坂上田村麻呂の末裔で坂上姓を名乗った山本坂上氏である。
1909年(明治42年)、旧制北野中学校(現・北野高校)在学中、「家業早期継承」のため父が隠居。
家業の山為硝子を継ぐ。
小西儀助が後見人となり、京大講師の英人フランクリンの個人授業で化学や数学を学ぶ。
1917年(大正6年)、米国遊学。
1918年(大正7年)、半自動製壜機を輸入し、和田豊治、浜口吉右衛門らと日本製壜設立し専務就任。
1921年、日本製壜が加富登麦酒などと合併して日本麦酒鑛泉となり、常務就任
1935年(昭和10年)、新大阪ホテル開業。
同年、合併により日本麦酒鑛泉が大日本麦酒となり、常務就任。
1947年、日本麦酒専務就任。
1949年(昭和24年)、大日本麦酒より分割された朝日麦酒(現・アサヒグループホールディングス)社長に就任。
サントリーにも関与。
ビール業界の戦後の存続のため尽力。
山本為三郎さんが誕生してから、132年と244日が経過しました。(48457日)
亡くなってから、59年と324日が経ちました。(21874日)
26583日間 生きました。


![【小さな蕾】1999年6月号 山本為三郎コレクション [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/51wpQ7LOJzL._SL160_.jpg)
