近衛尚通このえひさみち
公卿、関白[日本]
(文明4年10月12日生)
(ユリウス暦) 1472年 11月12日 生
(ユリウス暦) 1544年 9月13日 死去享年73歳
近衛 尚通(このえ ひさみち)は、戦国時代の公卿。
太政大臣・近衛政家の子。
官位は従一位・関白、太政大臣、准三宮。
近衛家15代当主。
経歴=
文明14年(1482年)に元服、室町幕府9代将軍・足利義尚より偏諱を受けて尚通と名乗る。
延徳2年(1490年)に右大臣に就任、以降は関白に二度就く。
永正11年(1514年)に太政大臣、同16年(1519年)に准三宮となった。
天文2年(1533年)に出家し、大証と号した。
天文13年(1544年)8月26日、薨去。
享年73。
人物=
文化人=
尚通は公家や連歌師、武士に近衛邸を開放し、学問や文芸の普及にも努めた文化人である。
若年のころ、連歌師・宗祇から古今伝授を受けていた。
上巳の詩=
旧暦では3月3日を上巳の日とした。
永正13年3月3日(1516年4月14日)、尚通は次のような詩を詠んでいる:
雅会評詩三月三、踏靑進履曲江南、桃花似雨楊花雪、燕子飛辺日半酣、
日記と「戦国之時」=
日記『後法成寺関白記』(近衛尚通公記)を残した。
永正5年4月16日(1508年5月15日)の条には、細川政元の死後に跡目を争う細川澄元と細川高国の争いを中国の春秋戦国時代に例え、「抑世上之儀、併如戦国之時」と評す。
戦国時代の呼称はこれに由来している。
官職および位階等の履歴=
文明15年(1483年)、従三位。
延徳2年(1490年)、右大臣。
明応2年(1493年)、関白に就任(〜1497年)。
正二位。
明応4年(1495年)、従一位。
明応5年(1496年)、 ……