池田宗政いけだむねまさ
岡山藩主[日本]
(享保12年6月24日生)
1727年 8月11日 生
1764年 4月14日 死去享年38歳
池田 宗政(いけだ むねまさ)は、備前岡山藩の第4代藩主。
岡山藩池田家宗家6代。
生涯=
享保12年(1727年)江戸藩邸に第3代藩主・池田継政の長男として生まれる。
母は仙台藩主伊達吉村の次女・村子(和宮、心定院)。
幼名は峯千代、通称は茂十郎。
初名は尚政。
幼少期より水戸の鶴千代(徳川宗翰)、加賀の勝丸(前田宗辰)、出雲の幸千代(松平宗衍)と共に四君子あるいは四公子と称され、聡明で知られた。
元文2年(1737年)3月、将軍吉宗に謁し、元文5年12月11日(1741年1月27日)に吉宗御前で元服し、吉宗より偏諱を受け宗政に改名し、従四位下弾正大弼に叙任される。
寛延元年(1748年)正月、福岡藩主黒田継高の長女・藤子と結婚、10月伊予守に改め、12月に侍従に就任 。
宝暦2年12月6日(1753年1月9日)、父の隠居により跡を継ぎ、翌宝暦3年11月にはじめて国元に就いた。
岡山藩藩学の充実に努めており、また自身は書画に優れ、恒嶽を号として作品を残しているほか、俳諧や和歌もなし、俳名を流霞楼燕々子と称した。
宗政は岡山藩主の祈祷寺である常住寺に自作の書画を寄進し、
池田宗政さんが誕生してから、298年と180日が経過しました。(109025日)
亡くなってから、261年と299日が経ちました。(95629日)
13396日間 生きました。