亀山直人かめやまなおと
化学者[日本]
1890年 5月19日 生
1963年 3月28日 死去享年74歳
亀山 直人(かめやま なおと、1890年〈明治23年〉5月19日 - 1963年〈昭和38年〉3月28日)は、日本の応用化学者。
写真感光や二次電池、石灰窒素の本質、蛍燐光体の研究等、日本の電気化学工業の発展に尽力した。
東京帝国大学教授、日本化学会会長、初代日本学術会議会長、日本学士院会員、工学博士。
来歴=
群馬県前橋市に、大審院判事・亀山直秀の長男として生まれる。
父の死後東京市本郷区西片町へ移住。
旧制第一高等学校を経て、1913年(大正2年)東京帝国大学応用化学科を卒業。
1916年(大正5年)、東京帝国大学助教授に就任、1922年(大正11年)工学博士。
同年日本化学会より櫻井褒賞を授与。
1923年(大正12年)からイギリス・ロンドン大学へ留学。
帰国後の1925年(大正14年)東京帝国大学教授に就任。
東大では第一工学部長、理工学研究所長を歴任。
1933年(昭和8年)工業化学会から有効賞を授与。
1945年(昭和20年)、蛍燐光体の研究により牧島象二とともに学士院賞受賞。
1945年(昭和20年)、電気化学協会会長。
1949年(昭和24年)に初代日本学術会議会長に選出された。
1951年(昭和26年)に東大を退官。
同年日本学士院会員。
1953年(昭和28年)文部省中央教育審議会会長、1956年(昭和31年)には産業計画会議委員(議長・松永安左ヱ門)に就任。
1958年(昭和33年)、文化功労者。
著書に『電気化学の理論及び応用』など。
1963年(昭和38年)国立横浜病院で死去 ……
亀山直人さんが誕生してから、135年と174日が経過しました。(49483日)
亡くなってから、62年と227日が経ちました。(22873日)
26610日間 生きました。