加山又造かやままたぞう
日本画家[日本]
1927年 9月24日 生
2004年 4月6日 死去肺炎享年78歳

加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。
京都府京都市上京区相国寺東門前町生まれ。
経歴=
祖父・田辺玉田は北陸若狭の出身で、京都で活動の後、旅をしながら各地の風景を描いていく「旅の絵師」となり、旅先の一つ、広島県で結婚し、父・田辺勝也も広島で生まれた。
祖父は広島を中心に中国地方で画家として活躍し、作品が二点広島県立美術館に収蔵されている。
父は幼少期を広島で過ごした後に父(又造の祖父)と共に京都に移り住み加山勝也と改名。
西陣織の図案家(デザイナー)となり、1927年、又造は京都で生まれた。
京都市立美術工芸学校(現 京都市立銅駝美術工芸高等学校ならびに京都市立芸術大学)、東京美術学校(現 東京芸術大学)を卒業。
山本丘人に師事。
戦時中は、学徒動員で山口県周防大島で勤労奉仕にあたり、1945年8月6日、瀬戸内海の向こうに広島原爆のキノコ雲を見る。
後に「晴天の遥か彼方に、ピンク色の丸い雲がぽっかりと浮かび、地鳴りのような轟音が空気を揺るがした」と、その時の衝撃を振り返っている。
敗戦の記憶が、加山又造の芸術性に大きな影響を及ぼしたと言われている。
又造は岩国駅から無蓋貨車に乗り込み、焦土と化した広島を通過して故郷の京都に戻った。
一方、父・勝也は息子とはすれ違いで広島に向かい、自分の家があった場所や広島市内の親類の家を訪ね歩き、壊滅した広島の ……
加山又造さんが誕生してから、98年と2日が経過しました。(35797日)
亡くなってから、21年と173日が経ちました。(7843日)
27954日間 生きました。