昭和のいるしょうわのいる
漫才師、昭和のいる・こいる[日本]
1936年 7月23日 生
2025年 5月24日 死去肺炎享年90歳
昭和のいる・こいる(しょうわのいる・こいる)は漫才協会、落語協会所属の漫才コンビである。
略称は「のいこい」。
五代目鈴々舎馬風ファミリー。
メンバー=
昭和 のいる=
昭和 のいる(1936年7月23日または1942年7月23日 - 2025年5月24日)は、突っ込み担当。
石川県石川郡吉野谷村出身。
本名は、岡田 弘(おかだ ひろし)。
立ち位置は右側。
実家は大工の棟梁。
大学入学前は地元で代用教員をしていた。
国士舘大学国文科卒業。
眼鏡を掛けている。
2025年5月24日、東京都北区内の病院において肺炎のため死去。
88歳没。
最後の寄席出演は、2013年7月23日の浅草演芸ホールだった。
昭和 こいる=
昭和 こいる(1944年1月26日 - 2021年12月30日)は、ボケ担当。
群馬県伊勢崎市出身。
本名は、庄田 太一(しょうだ たいち)。
芸名は「昭和を乗り越える」という験を担いだもの。
立ち位置は左側。
実家は裕福な化粧品や雑貨を扱う小間物屋。
父母は大正時代に広島県から群馬に来て商いを始め、家では広島弁で話し、こいるも広島弁を喋れた。
幼少期の頃から歌が好きで小学2年の頃、日本放送協会の「子供のど自慢」に出演歴あり。
伊勢崎市立南小学校、伊勢崎市立南中学校、関東学園大学附属高等学校商業科を経て、日本大学文理学部、二年時芸術学部転部後、1966年中退。
頭髪が少なくなったが、昔からリーゼント頭。
漫才協会理事。
以前は地元の伊勢崎市に「もし ……
昭和のいるさんが誕生してから、88年と328日が経過しました。(32470日)
亡くなってから、23日が経ちました。
32447日間 生きました。