横井英樹よこいひでき
実業家、ホテルニュージャパン 元社長[日本]
1913年 7月1日 生
1998年 11月30日 死去虚血性心疾患享年86歳
横井 英樹(よこい ひでき、1913年(大正2年)7月1日 - 1998年(平成10年)11月30日)は、日本の実業家。
1953年(昭和28年)の老舗百貨店、白木屋(のちの東急百貨店日本橋店)の株買占めや東洋郵船設立による海運業への進出で脚光を浴びた。
来歴・人物=
生い立ち=
愛知県中島郡平和村(平和町を経て現・稲沢市)の貧しい農家に二男として生まれた。
生まれたとき、真っ赤な赤子であったことから、こんな赤い子は千人に一人いるかいないかだということで「千市」と名付けられた。
本人はその名は好きではなく、1947年(昭和22年)「英樹」と改名する。
父親の鉞次郎(えつじろう)は18、9歳の頃に尻の出来物の手術をしたところ足が悪くなり仕事をしなくなった。
やけになり朝から酒を飲み道の真ん中に大きく寝、通行人が通ろうとするとガバッと起き上がり金をせびっていたという。
相撲取りのように体が大きく、鉞次郎の姿を見ると皆逃げていた。
鉞次郎は家の中でも暴れ、妻のまさの髪の毛を引っ張るなどの暴力を振るい、まさと横井は夜に裸足で逃げたこともあったという。
酒乱の鉞次郎を見ていた横井は成人してからもアルコールはほとんど飲まなかった。
鉞次郎は横井が学校に通うのを嫌い、「ウチのような貧乏人は、子供を学校へなんかやらんでいい。
字なんておぼえんでいい!」と横井のカバンを隠したり、教科書を破ったりしていた。
それでも横井は遅刻をしてでも小学校 ……
横井英樹さんが誕生してから、112年と41日が経過しました。(40949日)
亡くなってから、26年と254日が経ちました。(9751日)
31198日間 生きました。