生年月日データベース

目黒俊治めぐろしゅんじ

ポプラ 創業者[日本]

1943年 6月18日 生 (満81歳)

目黒俊治 - ウィキペディアより引用

目黒 俊治(めぐろ しゅんじ、1943年6月18日 - )は、広島県出身の実業家。
ポプラ (コンビニエンスストア)創業者。
大黒屋食品二代目社長。
来歴= 若年期= 1943年、段原中町(現南区)で父・恒一、母・シズエの長男として生まれる。
太平洋戦争末期、一家で白木町(現安佐北区)に疎開していたため、目黒は広島市への原子爆弾投下の際には被害にあわなかった。
ただ被爆後すぐに親戚を探しに市内に入った父・恒一(入市被爆)と後に生まれる妹(被爆二世)が被爆者であった。
戦後父・恒一は広島市内でサラリーマンをしていたが、軍人でアメリカ軍の捕虜だった父の弟(目黒の叔父)が共産党員になったあおりでレッドパージされた。
そこで一家で新天地(現中区)に移り住み、1949年酒のつまみを製造・販売する「大黒屋(のち大黒屋食品)」を開業する。
のち手狭となったため流川(現中区)へ移る。
三川町(現中区)に自前の製造工場をもった。
広島市立幟町小学校、広島市立国泰寺中学校、広島市立舟入高等学校、関西大学文学部卒業。
佐々木禎子は幟町小の1学年上になる。
父・恒一が大黒屋社長であったが病弱であったため、母・シズエが家業を取り仕切っており、目黒は17歳ぐらいから家業を手伝っていた。
大学時代も頻繁に家業を手伝った。
大学時代に教員免許を取得している。
大黒屋= 大黒屋は流川や薬研堀の飲み屋へのつまみの製造販売の他、酒類卸も手掛ける ……

目黒俊治さんが誕生してから、81年と364日が経過しました。(29949日)

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