生年月日データベース

井上日召いのうえにっしょう

右翼活動家[日本]

1886年 4月12日

1967年 3月4日 死去脳軟化症享年82歳
井上日召 - ウィキペディアより引用

井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年〈明治19年〉4月12日 - 1967年〈昭和42年〉3月4日)は、日本の宗教家、政治運動家、テロリスト、右翼指導者。
本名は井上 昭(いのうえ あきら)、別号に日象。
血盟団を結成して「一殺多生」を唱え、1932年に血盟団事件を起こした。
無期懲役の判決を受けたが恩赦により出所。
戦後は右翼団体・護国団を結成した。
日蓮宗を信仰し、仲間からは「和尚」と呼ばれたものの僧籍は有していない。
生涯= 生い立ち= 群馬県利根郡川場村に、医師・井上好人の四男として生まれる。
幼名は四郎、通称尚(たすく)。
幼少期より母との関係が悪く、野火を付けたり脇差を持ちだして門松を斬り倒したりする悪童だった。
地元の小学校から旧制中学校に進むが、「善悪を決定する基準は何か」という問題に悩む。
キリスト教にも関心を示して前橋教会に通い、堀貞一の説教に耳を傾け、洗礼を受けるに至ったが反発心を起こして教会に行くのをやめた。
満洲浪人= 旧制中学校卒業後は船員、職工、代用教員、陸軍工兵補充兵などを転々とした後、早稲田大学予科の英文科に入学。
小説家を目指すはずが、酒と吉原に入り浸った。
東洋協会専門学校(現・拓殖大学)では卒業後に満韓台湾に赴任するという誓約書を入れると聞いて関心を持ち、早稲田大学を退学して入学、中国語を学ぶ[17][18]。
しかし、暴動事件に関与したとの疑いで無期停学となり、 ……

井上日召さんが誕生してから、139年と120日が経過しました。(50890日)
亡くなってから、58年と160日が経ちました。(21345日)
29545日間 生きました。

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