水野修孝みずのしゅうこう
作曲家[日本]
1934年 2月24日 生 (満91歳)
水野 修孝(みずの しゅうこう、1934年2月24日 - )は、日本の作曲家、指揮者。
千葉大学教授、静岡文化芸術大学教授、東京藝術大学講師、武蔵野美術大学講師を務めた。
経歴=
作風=
1934年、徳島に生まれる。
千葉県立千葉高等学校時代の音楽部で、処女作『ばら色の雲』を発表して指揮した。
千葉大学文学部に入学後、法経学部法律政治科に転科。
学内の千葉大学管弦楽団でヴィオラを弾くが、やがて才能が周囲に認められ、大学3年より指揮をするようになる。
またその頃、東京交響楽団の定期演奏会で聴いた、ヘンツェの交響曲第2番に大きな感銘を受け、作曲家を志す。
千葉大学4年の時、音楽を志す決意を完全に固め、半年で受験準備をして東京藝術大学楽理科に入学。
東京藝大在学中、小杉武久と出会い、学内でヴァイオリンとチェロで即興演奏を始める。
やがて塩見允枝子、刀根康尚、戸島美喜夫、柘植元一、武田明倫が加わり、卒業後「グループ音楽」という集団を結成。
作曲家としての正式デビューは、1961年の「金管群のための3つの次元」。
初期は、譜面の中に演奏者が自主的に演奏部分や演奏法を選択できる部分を盛り込み、演奏者の自発性を引き出すことを試みる。
この頃の代表作としては、「声のオートノミー」(1964年)、「オーケストラ1966」(1966年/1973年改訂)などがある。
当時の作品の音響は、師の柴田南雄に逆に影響を与えたとされるが、水野は前衛運動の行き詰まり ……
水野修孝さんが誕生してから、91年と112日が経過しました。(33350日)