生年月日データベース

不破哲三ふわてつぞう

政治家[日本]

1930年 1月26日

2025年 12月30日 死去急性心不全享年96歳
不破哲三 - ウィキペディアより引用

不破 哲三(ふわ てつぞう、1930年(昭和5年)1月26日 - 2025年(令和7年)12月30日)は、日本の政治家、作家。
衆議院議員(11期)。
日本共産党名誉役員。
日本共産党中央委員会書記局長、中央委員会幹部会委員長、中央委員会議長を歴任した。
2004年の党綱領の全面改定を主導し、天皇制や自衛隊を容認するなど「柔軟路線」を取った。
多くの論文や著書を執筆し、党の理論面での支柱であり続けた。
「不破哲三」はペンネームで、本名は上田 建二郎(うえだ けんじろう)。
日本共産党副委員長を務めた上田耕一郎は実兄。
父は教育評論家の上田庄三郎。
経歴= 1956年の不破 当時、上田家には「跡取り」がいなかったため、父子共々養子として引き取られる。
両親は高知県の出身。
旧制東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)、第一高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。
1969年に衆院の旧東京6区から初当選した。
1970年、40歳で日本共産党の書記局長に就任し、当時マスコミから「共産党のプリンス」と呼ばれた。
1974年1月29日の予算委員会では、日本分析化学研究所が実施していた放射能測定で、データがねつ造されていることを指摘した(「米原子力潜水艦放射能測定不正事件」)。
1982年に宮本顕治が中央委員会議長になり、不破が幹部会委員長に就任した。
1984年にキューバのフィデル・カストロと3時間以上に及んで会談した。
→詳細は「日本とキューバ ……

不破哲三さんが誕生してから、96年と14日が経過しました。(35078日)
亡くなってから、41日が経ちました。
35037日間 生きました。

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