生年月日データベース

塩原又策しおばらまたさく

三共 共同創業者[日本]

1877年 1月10日

1955年 1月7日 死去享年79歳
塩原又策 - ウィキペディアより引用

塩原 又策(しおばら またさく、1877年(明治10年)1月10日 - 1955年(昭和30年)1月7日)は、日本の実業家。
三共株式会社(現:第一三共株式会社)創業者・元社長。
神奈川県出身。
横浜英語学校卒業。
来歴= 1877年(明治10年)、塩原又市の長男として横浜市で生まれた。
父・又市は長野県宗賀村の出身で、横浜に出て土地の貸付で財を成していた。
塩原は父が60歳になってからの子であった。
普通小学校を卒業し、横浜英語学校で英語を、並行して漢学・数学も学んだ。
明治30年(1897年)、父の知人であった大谷嘉兵衛の経営する日本製茶会社に入社し、実務の手ほどきを受けた。
次いで父と大谷が共同出資し設立した横浜絹物会社で取締役支配人になり羽二重の輸出に取り組むが、生糸相場の激変などがあってこの事業は失敗し1901年(明治34年)に会社解散に至った。
絹物会社を経営していた時期、友人の西村庄太郎が渡米するにあたって新規事業の探索を依頼したところ、米国に移住し研究活動を行っていた高峰譲吉が発見した消化酵素タカジアスターゼを知ることとなった。
日本で自ら販売することを検討していた高峰は、西村と会見したのち塩原と電信で交渉を行い、塩原は1898年(明治31年)にタカジアスターゼの輸入販売権を獲得することに成功した。
1899年(明治32年)、塩原と西村に加え、塩原の義弟である福井源次郎の3名による出資で、匿名合資会社三共商店を設立し横浜市弁天通 ……

塩原又策さんが誕生してから、148年と303日が経過しました。(54360日)
亡くなってから、70年と307日が経ちました。(25875日)
28485日間 生きました。