山本五十六やまもといそろく
海軍大将、連合艦隊司令長官[日本]
1884年 4月4日 生
1943年 4月18日 死去戦死享年60歳
山本五十六の名言 |
やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。 |
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年〈明治17年〉4月4日 - 1943年〈昭和18年〉4月18日)は、日本の海軍軍人。
最終階級は元帥海軍大将。
栄典は正三位大勲位功一級。
新潟県長岡出身。
旧姓は高野(たかの)。
海兵32期、海大甲種14期。
第26、27代連合艦隊司令長官。
前線視察の際、ブーゲンビル島の上空で戦死(海軍甲事件)。
日本において皇族・華族以外で、国葬を受けた最初の人物である。
生涯=
明治=
1905年撮影
1884年(明治17年)4月4日、新潟県古志郡長岡本町玉蔵院町(現在の長岡市坂之上町3丁目付近)で、旧越後長岡藩士(120石)・高野貞吉の六男として誕生する。
当時の父親の年齢から「五十六(いそろく)」と名付けられた。
母親も45歳と高齢だった。
子供の頃から負けず嫌いで、小学生時代、「何でも食べるが鉛筆は無理だろう」とからかわれると、その場で鉛筆を食べだした。
息子の山本義正によれば、少年時代の山本はアメリカ人宣教師の元で聖書の勉強をしたことがあるという。
長岡町立阪之上尋常小学校、旧制新潟県立長岡中学校卒業。
中学生時代に10歳年長の甥である高野力が病死し、その際の両親の「五十六が力に代わって立派な武士(軍人)になってくれれば」という言葉が五十六のトラウマとなった。
故に軍人を目指し、既に「武士の家の子は武士になる」と語っていた。
五十六の海軍兵学校志望は、叔母が嫁いだ野村貞から海軍の話をたびたび聞い ……
山本五十六さんが誕生してから、140年と220日が経過しました。(51355日)
亡くなってから、81年と208日が経ちました。(29793日)
21562日間 生きました。