生年月日データベース

荻須高徳おぎすたかのり

画家[日本]

1901年 11月30日

1986年 10月14日 死去享年86歳
荻須高徳 - ウィキペディアより引用

荻須 高徳(おぎす たかのり、仏: Takanori Oguiss、1901年11月30日 - 1986年10月14日)は、大正・昭和期の洋画家。
愛知県中島郡井長谷村(現在の稲沢市井堀高見町)出身。
新制作協会会員。
愛知県稲沢市には顕彰美術館として稲沢市荻須記念美術館がある。
経歴= 1901年(明治34年)11月30日、愛知県中島郡千代田村井堀(現在の稲沢市井堀町)に生まれる。
父福次郎、母こうも2男2女の次男。
父は代々地主を継ぎ、書画骨董を好む。
1908年(明治41年)4月、千代田尋常小学校(現・稲沢市立千代田小学校)に入学、生家に近い井堀分校に通う。
すでに絵を描くことに熱中する。
1912年(明治45年)、5年生になって本校に通うようになるが、2キロの通学距離は生来の病身に負担が大きく欠席して家で絵を描く日が多くなる。
家族や近所の人の顔、桑畑、田圃道などを題材とする。
1914年(大正3年)4月、尋常科を終え高等科にすすむ。
このとし第一次世界大戦勃発。
1916年(大正5年)4月、愛知県立第三中学校(現在の愛知県立津島高等学校)に入学。
8キロの道のりを自転車通学するうちに健康となり、5年間を無欠席でとおす。
通学の途次は水郷風景や、川、堤等、四季の変化に富む風景で絵心を育む。
1918年(大正7年)1月、東京美術学校黒田教室卒業後間もない大橋貞一が第三中学校に赴任、長髭にあごひげを蓄え、校庭に画架を立てて油絵を描く姿に憧憬を抱く。
剣道も得意となり、対抗試合 ……

荻須高徳さんが誕生してから、124年と26日が経過しました。(45317日)
亡くなってから、39年と73日が経ちました。(14318日)
30999日間 生きました。

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