厨川白村くりやがわはくそん
評論家[日本]
1880年 11月19日 生
1923年 9月2日 死去享年44歳
厨川 白村(くりやがわ はくそん、1880年11月19日 - 1923年9月2日)は、日本の英文学者・文芸評論家。
本名・辰夫。
『近代の恋愛観』がベストセラーとなり、大正時代の恋愛論ブームを起こした。
夏目漱石『虞美人草』の小野のモデルとも言われる。
生涯=
1880年(明治13年)、京都市柳馬場押小路生まれ。
養父の厨川磊三(らいぞう)は元津山藩士で蘭学を修め、維新後は京都府勧業課、大阪造幣局などに勤めた人物。
子がなかったため、実弟の子だった白村を養子とした。
大阪市の掛川尋常小学校、盈進高等小学校を経て、大阪府第一尋常中学校から京都府立第一中学校に転校後、第三高等学校を経て1901年(明治34年)、東京帝国大学英文科入学。
小泉八雲の講義を受けて、後にその「情緒本位の文学教授法」を絶賛している。
2年生のとき八雲が解任されることになったため、英文科の学生の間で八雲の留任を求める運動が起こり、要求が容れられなければ全員退学で対抗しようという決議まで出されたが、白村はそれに反対したため孤立してしまう。
その後夏目漱石が赴任し、八雲の後任として講義を始めたとき、学生の多くは真面目に聴こうとしなかったが、白村は熱心に聴講し、3年生のときは漱石の自宅をよく訪ねるようになった。
大学院に進むことになり、漱石の指導で「詩文に現れたる恋愛の研究」という研究を始めたが、家の事情で断念した。
ただ漱石の指導について、「批評や議 ……
厨川白村さんが誕生してから、145年と35日が経過しました。(52996日)
亡くなってから、102年と114日が経ちました。(37370日)
15626日間 生きました。



