鹿内信隆しかないのぶたか
産経新聞社、フジテレビ 元社長[日本]
1911年 11月17日 生
1990年 10月28日 死去享年80歳
鹿内 信隆(しかない のぶたか、1911年11月17日 - 1990年10月28日)は、日本の実業家。
フジサンケイグループ会議議長。
経歴=
戦後の1954年のニッポン放送設立に加わり、1957年文化放送の社長になった水野と協力してフジテレビを開局させた。
これらは財界のためのマスコミ機関として認識された。
1961年、ニッポン放送社長、1963年にフジテレビ社長に就任する
1969年、箱根 彫刻の森美術館館長・フジサンケイグループ会議初代議長を務め、フジサンケイグループ内で絶大な権力を持った。
1974年、郵政官僚出身の浅野賢澄に社長職を譲り、自らは会長に就任。
また、ニッポン放送社長を同郷の後輩である石田達郎に譲った(石田の後任は鹿内の大学の後輩である羽佐間重彰で、後にフジテレビの社長も務めた)。
1982年、郵政官僚出身の浅野賢澄にフジテレビ会長のポストを譲り、1984年フジサンケイグループ最高顧問の座に就いた。
しかし1988年、長男・春雄の死去を受け、春雄が大量に所有していたフジテレビの親会社にあたるニッポン放送株を春雄の未亡人・頼近美津子が相続すれば、フジテレビは頼近の支配下に置かれかねない状況に陥ったため、慌てて頼近からニッポン放送株を買い戻し、再びグループ会議議長の座に就任した。
1990年10月28日、78歳でその生涯を閉じた。
エピソード=
社長時代は、フジテレビ・ニッポン放送では正社員にあたるアナウンサーへの女性の採用を禁じ、派遣社員クラスに ……
鹿内信隆さんが誕生してから、113年と212日が経過しました。(41485日)
亡くなってから、34年と231日が経ちました。(12650日)
28835日間 生きました。