庭野日敬にわのにっきょう
宗教家、立正佼成会開祖[日本]
1906年 11月15日 生
1999年 10月4日 死去享年94歳

庭野 日敬(にわの にっきょう、1906年(明治39年)11月15日 - 1999年(平成11年)10月4日、改名前は庭野鹿蔵)は、日本の宗教家で仏教系新宗教の在家教団立正佼成会の開祖、初代会長。
立正佼成会を創立し、一時期は信者公称約170万世帯700万人以上を擁する大教団に育てた。
また、1979年(昭和54年)には「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞を日本人として初めて受賞した。
略歴=
庭野の銅像
一乗宝塔(立正佼成会 法輪閣庭園)
1906年(明治39年)11月15日、新潟県中魚沼郡十日町大字菅沼(現・新潟県十日町市菅沼)の農家に、庭野重吉の次男・庭野鹿蔵として生まれた。
小学校を卒業後、16歳で上京。
米穀店や薪炭店に勤め、漬物店や牛乳店を営んでいた。
ある時、自分の子供(娘)が病気となり、祈祷師に救いを求めた。
この祈祷師がザ・ドリフターズの元メンバーとして知られる綱木文夫の母親、綱木梅野である。
梅野の祈祷が功を奏したのか、娘の病気は治癒。
これをきっかけに信仰に目覚めて梅野に弟子入りし、宗教の世界に進出することとなった。
易学や修験道など様々な信仰遍歴を重ねた末、法華経信仰の道に入る。
1935年(昭和10年)に法華系新宗教教団の霊友会に入会し、当時教団幹部であった新井助信より法華経の講義を受け師事する。
1938年(昭和13年)3月5日、かねてより師事する新井の強力な勧めもあり、庭野は長沼政(後の長沼妙佼副会長、脇祖)とともに ……
庭野日敬さんが誕生してから、118年と213日が経過しました。(43313日)
亡くなってから、25年と256日が経ちました。(9387日)
33926日間 生きました。