生年月日データベース

藤原ていふじわらてい

作家[日本]

1918年 11月6日

2016年 11月15日 死去老衰享年99歳
藤原てい - ウィキペディアより引用

藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 2016年11月15日)は、日本の作家。
夫は作家の新田次郎(本名・藤原寛人)、数学者でエッセイストの藤原正彦は次男。
エッセイストの藤原咲子は長女。
孫はベーシストの村井研次郎。
旧姓両角。
来歴・人物= 長野県茅野市出身。
県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。
1939年、新田と結婚。
1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。
敗戦後の1945年、夫を一時残して子供3人を連れ満州より引き揚げ、1946年帰国、心臓を患い寝たきりで、精神にも変調をきたしていたらしく、しばらくして新田も帰国したが、すぐには夫と分からない状態だったという。
帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。
一部創作も含まれている。
またTBSの『愛の劇場』で1982年にドラマ化された。
引揚げ体験は本人の心に深い傷を残した。
当時、満州国観象台課長だった夫は軍事機密である起床情報を処分するため、同行を懇願するていを振り切って呼び出された職場に行ったことで、回復後も、ていは夫婦喧嘩になると夫を家族を見捨てた、誰が子ども3人を連れて帰ったのかとなじり、子供が生意気な口を利くと、北朝鮮の山の中においてくればよかったと怒ったという。
次男正彦の嫁は、靴を片付けようとすると賊が二の足を踏むように片付けるな、子どもの好物を ……

藤原ていさんが誕生してから、107年と49日が経過しました。(39131日)
亡くなってから、9年と40日が経ちました。(3327日)
35804日間 生きました。

「藤原てい」と関連する人物

推定関連画像